米国の新たな研究で、ドライクリーニングで広く使われる化学物質PCE(パークロロエチレン)への曝露が、肝線維症のリスクを3倍に高めることが明らかになった。しかし日本ではすでに9割以上のクリーニング店が石油系溶剤へ転換済みだ。問題は、PCEの"遺産"として残る土壌汚染と、高所得層に偏る曝露リスクにある。
肝臓への影響メカニズム
PCE(テトラクロロエチレン、パークロロエチレンとも呼ばれる)は、油汚れを強力に分解する塩素系溶剤だ。しかしその洗浄力の代償は大きい。
南カリフォルニア大学ケック医学部の研究によれば、PCEは脂溶性が高く、肝臓組織に蓄積しやすい。体内に取り込まれたPCEは、主に肝臓でシトクロムP450(CYP2E1)という酵素によって代謝される。この過程で生成されるのが、トリクロロ酢酸(TCA)という代謝物だ。
TCAは複数の経路で肝臓を攻撃する。酸化ストレスを引き起こし、ミトコンドリアの機能を障害し、肝星細胞を活性化させる。肝星細胞は通常、肝臓の構造を支える役割を持つが、活性化されると線維(瘢痕組織)を過剰に生成し始める。
この線維化が進行すると、肝臓への血流が妨げられ、肝機能が低下する。最終的には肝硬変、肝不全、肝細胞がんへと進行する。研究チームの肝臓移植専門医ブライアン・P・リー博士は、「PCE曝露レベルが1ナノグラム/ミリリットル増えるごとに、重度の線維症リスクが5倍に増加する」と報告している。
この関連性は、年齢、性別、人種、教育レベルといった従来の肝疾患リスク因子を調整した後も頑健に残った。つまりPCEは、独立した肝毒性を持つ。
米国の新規制とトランプ政権の再検討
米国環境保護庁(EPA)は2024年、PCEの大半の用途を禁止し、ドライクリーニング業界に10年間の段階的廃止期間を与える規則を発表した。EPAはPCEを「発がん性が疑われる物質」と分類しており、膀胱がん、多発性骨髄腫、非ホジキンリンパ腫との関連が指摘されている。
しかし、トランプ政権はこの決定を再検討中だ。EPA報道官によれば、約6,000のクリーニング店(その多くが小規模事業者)が依然としてPCEを使用している。代替技術への移行には高額な設備投資が必要で、経営を圧迫する可能性がある。
米国ドライクリーニング・ランドリー協会(DLI)のジョン・マイヤー会員部長は、「PCEの段階的廃止の時期が来た。代替手段は数多くある」と語る一方で、「まだ使用している業者は、経済的な困難を抱えている」と付け加えた。
日本の状況:石油系への大転換
日本では状況が異なる。厚生労働省の調査によれば、2022年度時点で石油系溶剤を使用するドライクリーニング機械は17,190台で、全体の90%超を占める。PCEを使用する機械はわずか8%程度だ。
この転換が進んだ背景には、複数の規制がある。1989年、厚生省(当時)はPCEを化学物質審査規制法の第二種特定化学物質に指定し、使用管理の適正化を求めた。同年、水質汚濁防止法、下水道法、廃棄物処理法でもPCEが規制対象となった。
さらに、PCEは土壌汚染対策法で特定有害物質に指定されている。クリーニング店は土壌汚染の可能性が高い業種とされ、廃業時や土地売却時には調査が求められる。
石油系溶剤(工業ガソリン5号、クリーニングソルベント)は、PCEに比べて洗浄力は劣るものの、デリケートな素材に優しく、環境負荷も相対的に低い。引火性があるという欠点はあるが、適切な管理下では安全に使用できる。
残る課題:土壌汚染と高所得層リスク
日本でPCE使用が減少しても、問題は完全には解決していない。
第一に、過去にPCEを使用していたクリーニング店の跡地では、土壌汚染が残る。PCEは地下水に浸透しやすく、一度汚染されると除去が極めて困難だ。ドライクリーニング機械は密閉式だが、溶剤の補充時のこぼれ、手についた溶剤を水道で洗い流す行為などが、長年にわたって蓄積する。
第二に、高所得層ほどPCE曝露リスクが高いという逆説的な状況がある。南カリフォルニア大学の研究では、高所得世帯ほどPCEへの曝露が多かった。プロのドライクリーニングサービスの利用頻度が高いためと見られる。
第三に、クリーニング店の従業員と近隣住民の長期曝露リスクがある。日本では石油系が主流とはいえ、8%の店舗がPCEを使い続けている。従業員は毎日溶剤に接触し、近隣住民は揮発したPCEを吸入する可能性がある。
5つの代替方法
ワシントンポストの記事と専門家の助言から、PCE曝露を避ける5つの方法が示されている。
1. ドライクリーニング不要の衣類選択
環境保護団体Environmental Working Groupの上級科学者ターシャ・ストイバーは、「プロフェッショナルな装いでも、ドライクリーニング不要なものを選べる」と語る。綿のブレザーや洗濯可能なビジネスウェアを選ぶことで、クリーニング店への依存を減らせる。
2. 手洗い
一部の「ドライクリーニングのみ」表示の衣類は、冷水と素材専用の優しい洗剤で手洗いできる。洗濯後は平干しか吊るし干しで自然乾燥させる。
3. スチームクリーニング
スチームは小さなシミ、臭い、細菌を除去でき、水洗い不要で衣類をリフレッシュできる。
4. 商業ウェットクリーニング
生分解性洗剤と水を使用する方法で、有毒な溶剤を避けられる。
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5. 液体二酸化炭素
専門家が推奨するのは、液体二酸化炭素を溶剤として使用するクリーニング店だ。無毒で、環境への排出も3%未満と極めて少ない。
グリーンウォッシングへの警告
「エコ」「グリーン」を謳う代替手段にも注意が必要だ。
ワシントン大学環境・労働衛生科学部のダイアナ・セバージョス助教授は、「ドライクリーニング技術は劇的に改善したが、『残念な代替(より安全とされながら実は問題のある代替物質)』も多い」と警告する。PCEに代わる一部の溶剤も、「安全」「オーガニック」と宣伝されながら毒性を持つ可能性がある。
環境保護法律事務所Earthjusticeの上級弁護士ジョナサン・カルムス=カッツは、「数十年にわたる研究が、これらの広く使われるドライクリーニング化学物質が、がんやその他の深刻な疾患の容認できないリスクにさらしていることを確認している」と述べる。そして、「これらの害は完全に回避可能だ」と付け加えた。
セバージョスは、「大半の選択肢ははるかに良い」としながらも、「多くのグリーンウォッシングがある」と指摘し、消費者に質問と調査を促している。
日本が直面する真の課題
日本はすでに石油系溶剤への大転換を果たしたが、それは完全な解決を意味しない。
石油系溶剤も化学物質であり、乾燥が不十分だと衣類に残留し、化学やけどなどの皮膚障害を起こす可能性がある。また、引火性があるため火災リスクを伴う。
そして何より、PCEの"遺産"が残る。かつてPCEを使用していた無数のクリーニング店跡地で、土壌と地下水の汚染が続いている。除去には莫大なコストがかかり、多くの小規模事業者には負担できない。
真の解決は、より環境に優しい溶剤の開発だけではない。そもそも「ドライクリーニングが必要ない衣類」を選ぶこと、手洗いやスチームで対応できる範囲を広げることだ。日本の消費者はすでに、一世帯あたりのクリーニング代支出を2000年から2015年の間に約半分に削減している。この傾向は、必ずしも経済的な理由だけでなく、ライフスタイルの変化を反映している可能性がある。
PCEをめぐる問題は、単なる化学物質規制の話ではない。私たちの消費行動、衣類の選択、そして目に見えない環境汚染の蓄積という、より大きな構造的課題を映し出している。



